真木茂は本当に幸せ者です
心より心より感謝申し上げます

 本当に本当にありがとうございました。がんばりましたが惨敗です。結果は結果です。ご支援をいただきました皆さまに心より心より感謝申し上げます。

我が人生の誇りです

町田っ子魂に火がついて、政治家魂に火がついて、本当にすべてを賭して戦わせていただきました。僕の度量の小ささが出たような立候補劇でしたが、それが真木茂です。
そしてそんな真木茂に対し、多くの多くの方々から本当に献身的なご努力を賜りました。僕一人の戦いではない、多くの皆さまの夢を乗せての戦い。途中で倒れるわけにはいかないとこんなにも使命感を感じて闘ったことはありませんでした。
 選挙が近づくにつれ、次から次に僕が声をかけられなかった友人が戦線に参加。布団に入ったふとした瞬間などに「僕は幸せ者だなぁ」と痛切に感じ入る毎日でした。当選したら号泣するだろうなぁ、と自分でも思えるほど「幸せ」を痛感する毎日。告示日や最終日なども泣いてしまうだろう、と思えるほど多くの多くの皆さんの友情と夢を乗せて見事なまでにみんなが力を合わせて戦いを進めていただきました。間違いなく、誇張なく、町田の政治史上「最強の選対」をつくることができました。今までの真木の41年間の人生を総結集できたようなメンバーが集まり、僕は完全に神輿の上に乗せてもらって戦うことができました。
 こんな幸せな時間を過ごすことができたこと、我が人生の誇りです。本当に本当にありがとうございました。

残念! 無念!
 でも、だからこそ悔しいです。本当に本当に悔しいです。
 守りたい町田がある、変えていきたい現実がある、実現したい夢がある。
 僕が市長になったら本当に面白い、夢のある市政を実現できたと確信します。すばらしいメンバーと僕の行動力とですっごく楽しいことができたろうなぁ、と残念で残念でなりません。本当に本当に悔しいです。
 すっごくすっごく夢のある、「アイディアマン市長」になる自信はありました。市民の皆さんがとっても親しんでいただけるような市長にもなれるだろうなぁ、とうぬぼれながら思っていました。
寺田市長の乗っていたクラウンは町田市の「紋章」をつけちゃうことも許可しながらネットオークションに出して高く買ってもらってそのお金で買ったステップワゴンみたいな車にはいつもハンドマイクが入っていて時間があったらどこででも「市政報告」をスーパー前や公園ではじめちゃうような市長。
聞く耳を持っている政治家出身の市長は市内いたるところに人脈がありますから市職員は「自分たちに不都合な情報も市長の耳に入る」ことが多くなります。市役所中に緊張が走ります。
「町田市役所は『お役所』じゃない宣言―――真木茂を見返せ」とでも横断幕を市役所に貼り付けて「脱『お役所』宣言」をしていく‥‥‥みたいな。そんなつまらないことからマニフェストにお約束した「本当の『市民自治』」を実現していくこと、「市役所と市民(民間)の力で新しい『公』をつくっていく」ようなこと‥‥‥。
 ちょっとラディカルだったでしょうか。市民の選択です。玄人受けはすごくした真木茂の具体的で夢のある政策。戯言に終わってしまいました。

町田っ子魂と政治家魂に火がついて
 本当にいきり立っての立候補。若いですね。
 今回の市長選挙に関しては、とても重要な問題意識を持って臨んでいました。僕の都議会議員選挙が終わった瞬間から「次の仕事は市長選挙を民主党の幹事長として闘い、勝利すること」と宣言していました。だから市議会議員候補者の選考を都議会議員選挙前から進めていたのと同時に(今回当選した戸塚市議と河辺市議の選考は僕の選挙前に決定させていました)市長選挙については最大の関心事として取り組んできました。市長候補としては寺田市長もそうであったように、町田市役所内部の方の名前もずいぶんと出ていました。僕の良く知っている複数の方の名前が出ていましたし、僕もその方々を「適任者」と思っていましたが、それらの複数の方はどなたも「今は職員から市長になる時代ではない」と固辞されました。僕も、「今はお役所文化自体が問われている時。お役所からは適切ではない」と思っていたことから深追いせずに民間の方を探しておりました。でもその候補者探しが暗礁に乗り上げているところで「お役人さん」が意欲ある、との情報が8月になって入ってきました。「ちょっと違うだろう」と思わざるを得ませんでした。
僕は二期目の都議選のときのメインキャッチフレーズが「お役所が気づかないこと、お役人さんが『これで良し』と思っていることを生活者の視点で提言していく提案型の議員」としてその実績をご訴えして参りました。「なんでこうできないの」という時には必ず「お役所の理論」がありました。それを越えていくのが「政治家」の仕事。「政治家魂」に火が付きました。
 しばらくするとその方は「町田を離れて30年。今も町田市外に在住」との情報が入ってきました。僕は国会議員や都議会議員は「落下傘候補」を否定しません。国会議員も都議会議員も日本全体のこと、東京全体のことを考えて行動していただく政治家。町田のことしか知らないのではかえって困ってしまいます。でも市長は町田のことを知らなくはなりません。町田のことを知らない方では「金森には金森の歴史があります。市長、あそこにはこの案は無理です」と課長に言われてはどうすることもできません。町田を知らない市長ではお役人の掌で持て遊ばれてしまうだろう」と思いました。
 3歳の時に町田に越してきた「町田2世」だけど町田のことをこよなく愛している「町田の政治家」として「町田っ子魂」に火が付きました。

福祉の町田へのこだわり
 僕はなんだかんだ言っても「福祉の町田」にこだわりを持って都議会議員として活動してきました。都議会議員127名の中で担当課長から「真木議員が一番熱心で詳しい」と言っていただいていたように、福祉にはこだわりを持って仕事をしていました。父が結核の「生き残り」で障害者の2級、晩年は1級であって、僕が大学に行けたのも東京都の上乗せがあって、「町田の福祉」があって実現したもの。この市政の大転換期にあたって「町田の福祉」を守る立場で「リニューアル」をしていきたい。そんな市政をつくりたいと思っていましたが、その立場で活動してくれそうな方もいませんでした。

自主投票は許されない
 衆議院選挙が終わった9月の段階でもう事実上の「お手上げ」状態。選択肢は石阪さんに「相乗り」するかどうかしかなかったわけですが、「そうもいかない」と9月30日に記しました僕のホームページの「週刊エッセイ」では「誇れる市長をつくろう」と「自薦他薦を問いません。市長候補、どなたかいませんでしょうか」と恥も外聞もなく記しました。
 やはり「自主投票はできない」というのが僕の「民主党幹事長としての」、そして「トップ当選をさせていただいた都議会議員としての」判断であり、責任でありました。前回の市長選挙で僕は寺田市長を推薦しませんでした。町田で一番大切な選挙である市長選挙で自主投票というのは僕の政治暦の中では禍根でありました。ましてやこの大転換期の市長選挙で「僕が応援している人はいません」ということは絶対にできないものでありました。
 10月の声を聞くなかで、口説いている途中の人はゼロ、「あの人を口説こう」というあてもなし、そうした中でこれから探してきてもその人が本当に市長候補に相応しいのかどうかは分かるわけもない、ましてや大変な資金のかかる市長選挙のお金が集まる見込みもない。僕の考えられる中で唯一「カンパが集まるだろう候補」が僕でもありました。
 口説く候補が見つかるかどうかも分からない、見つかってもその人の識見も能力も分からない、本当に市長に相応しいかどうかは市民を騙すような話し、そしておカネは集まりそうもない。このままでは自主投票は避けられない、というかむしろ自主投票の方がいい(大敗する候補者だったり、おカネも集まらないで僕が借金してしてしまうような結果になってしまうので)ような状況の中で結論を出しました。
 基本的には「党人・真木茂」としての判断なのかな、と思いますが、でもそれ以上に「トップ当選させていただいた都議会議員・真木茂」ということは大きかったです。党の立場を超えて「町田を良くしていきたい」という意識。そのために一定の責任がある、多くの市民の皆さんのご期待をいただいている、それに応えたい、という意識。これらも含めて「町田っ子魂」であり「政治家魂」だったと思います。

衆議院議員?
 「町田っ子魂」と「政治家魂」が燃えたぎっていました。
 あくまでも、どこまでもこの「町田っ子魂」と「政治家魂」に火が付いたのが本質です。
 でも、その判断を後ろから後押しした「僕の弱さ」もあったことは事実です。
 ご案内のとおり、地元の民主党の状況からして、遠からず衆議院議員選挙の候補者は僕に来るものと思われておりました。党本部や党の都連関係の幹部からも「石毛さんの後は真木で」と言われておりました。そして僕もそのつもりでおりました。でも、僕にとって衆議院議員の仕事はもともと極めて魅力の薄いものでありました。それに加え、9月の「郵政選挙」。シングルイシューだけの「衆愚」的な選挙と「公認外し」と「刺客」。この政治文化は間違いなく民主党にも波及すると思いました。これからの国政選挙のたびにこうした「レッテル張り」が続いていくと思われました。自分の力だけではどうにもならない選挙で「民主党」に身を委ねて闘っていく―――僕の政治スタイルとは馴染めないものでした。
さらには選挙直後の前原代表の就任。僕より2歳上の代表の誕生。政治活動暦は僕よりもずっと浅い「若造」が代表になっていく「永田町民主党」(地域には真摯に日本の政治の刷新を求めて活動している多くの多くの仲間がいます。あくまでも永田町の民主党です)。生活感覚のかけらもない松下政経塾出身者の「竜馬ゲーム」(松下政経塾の共通項は大学出た後に就職しないでいい人たちばかり、ということ。つまり生活に困っていない方々ばかり。松下政経塾からは「生活者の政治」は出てこないと思っていますし、尊敬する人=坂本竜馬ばかりの「天下国家ゲーム」からは地道な活動という発想はなく、ひ弱な「風起し発想」「ブームづくり発想」しか出てきません)に民主党は染まっていく、今から数年後に国会に初当選して前原代表的民主党にモノを申していくという魅力は感じなくなりました。
 そしてさらにその直後に行われた民主党東京都連の会長選挙。海江田会長が落選したことに伴う会長選挙でしたが、そこでも国会議員と都議会議員が入り乱れてのドロドロとした劇場。多くの国会議員や都議会議員が血わき肉踊るといった感じでしたが、僕はまったく関与する気にもなれませんでした。
 
「政治家であらん」
 僕はこの前の選挙でも「次の選挙のことばかりを考えて盆踊りや運動会で握手をして回ってばかりいるような『選挙屋』にはなりたくない。政治でおカネ儲けをするような『政治屋』にもなりたくない。真木茂は『政治家』であらん。やった仕事で勝負するんだ、政策で勝負するんだ」と訴えて参りました。本気で今でもそう思っています。
 都議会というのは面白いところで都庁の課長と議論して部課長が納得すれば制度を変えることができます。それらは僕の実績でご報告してきましたが、町のあちらこちらで僕の仕事を喜んでいただける方がいる。「都道の横の植え込みの中に小さな道をつくればこう行く皆さんにとって便利になるじゃない」と僕が提案して実現。皆さんが喜んでいただける。生活のあらゆる場に「都政」がある。それに確実に僕もかかわっている。だから今までの僕のあらゆる団体の会合や町内でのご挨拶でもかならず「都政」と「真木茂」に結びつけた話しができていたはずです。「あさっての話し」はしていない。必ず「皆さん」と「都政」と「真木茂」を結びつけた「ちょっと真木の話しは違うぞ。そうだそうだ」と思っていただける話し(ご挨拶)をしてきたつもりです。
 ところが「衆議院議員」にはそのことができない。730人も国会議員がいて「年金」が問題になっていても「年金」を議論している国会議員なんてほんとに一握り。新聞読んで偉そうに「私はこう改革していきます」と訴えても国会に着いたらまったく関係できない、というのが実態。「皆さん」と「真木茂」を結びつけるものがない。せめてあるのは「皆さん」と「民主党」。真木茂の「政策」や「仕事」で皆さんと結びつくことができない。そうすると選挙に勝つためには「パフォーマンス」と「握手」しかありません。
 そして「パフォーマンス」と「握手」をしてそれが確実に結果に結びつくのならそれでもいいかもしれませんが、それもその時の「党首」の顔と発言で吹っ飛んでいってしまいます。つまり、「政策」や「やった仕事」では勝負のしようがない。「パフォーマンス」や「握手」しかできないけどそれもその時の風ですべてが決まる。何もしないでも当選するし、何をやっても落選するのが国会議員。僕の志向とは違います。
「真木茂は政治家であらん」。前原さんが良ければ当選できて、前原さんが失敗すれば真木は落選する――――それは僕の生き方ではありません。
そして落選したら真木が歪んでいくのが見えます。今までもパーティーの「ノルマ」があると頭を下げてお願いに行く、自分の選挙の前でもパーティーで資金を用意をする、それだけでも辛いものがあったのに、失業者になって次の選挙まで応援してもらうのはそこでは癒着も出てきますし、政治家としてのスタイルも小さくなってしまうのが良く分かります。家業があるわけでもない、資産があるわけでもない真木茂は落選したら卑しくなるのが自分でも分かっています。国会議員になったらその後20年前後。必ず一度以上は自分の努力に関係なく落選する。その落選が僕の政治スタイルを歪めることは恐ろしいことでもありました。

やった仕事で勝負したい!
 「このまま行ったら衆議院選挙への立候補は真木の義務」という中で「衆議院議員」への魅力を感じないでいた真木茂。そんな真木茂の「町田っ子魂」と「政治家魂」に火が付いた。
そして「市長」という仕事は「政治家であらん」真木茂にとってはとても魅力のある仕事でありました。要は「やった仕事で勝負ができる」数少ない政治家であるからです。
 批判はしていますが、僕だって「票」のために「盆踊りや運動会で握手」をしています。これが市長になれば「票のために」「握手をしにいくために」土日をつぶすことは少なくていいはずです。仕事量・日程的に「人間的な生活がしたい」のとともに「人間としての誇り」のうえでも「人間的な生活がしたい」と感じていた僕には魅力的な仕事であったことは間違いはありません。
 世間的には国会議員は730人。市長は2000人くらい。国会議員の方が社会的名声は上です。でも僕にとって、このまま黙っていれば辿り着くだろう「衆議院議員」というポジションへの魅力の薄さもこの判断の背景にあったのだと思います。

大歓迎された立候補
 僕の決断を多くの市民が歓迎をしていただきました。本当に悲鳴にも似た「このままじゃ入れる人がいない」「町田はどうなっちゃうんだ」との想い。僕も共感し、大勝負。10月28日の「町田の将来を考える緊急市民の会」のメンバー、そうそうたるメンバーが集まり熱気が凄かったと聞いています。11月8日に僕が呼ばれてご要請をいただき、その翌日には新聞各紙に載りました。多くの多くの方からさらにメールやファクスでご要請をいただきました。11月18日に記者会見して21日の月曜日から朝の「駅立ち」を開始しました。多くの市民から歓迎されている自信はありましたが、ご批判も相当あるだろうと覚悟してました。が、初日の「駅立ち」から熱烈な「がんばれよ」「よく出てくれた」と知らない方からも数多く握手やら力強いご声援だとか。「あなた都議会だったんでしょ。なぜ辞めるの」というご批判は2月に入ってから明らかな他陣営の方から言われるだけでした。最初から都議会選挙の期間中よりも熱いご支援。ホームページのアクセス数も都議会の本番中よりも連日殺到しました。


胃薬を飲みながら
 しかし、多くの多くの大歓迎の一方で、「なぜおまえ市長ごときに。国会に行くはずでは」というようなお声も強くいただきました。特に都議選で熱烈に応援していただいた方ほど「なぜ」という想いが強いのは当然です。「あの人が怒っていたぞ」とか「早すぎると言ってたぞ」とか耳に入ってきます。お気持ちは当たり前のことであるがゆえに本当に申し訳ない気持ちで一杯になりました。
 この町田の市長選挙は市議選と同日選。9月まであった「国会議員・石毛えい子事務所」の秘書軍団も解体。一人残った総支部専従者も僕が口説いた市議会議員の選挙を応援しなくてはなりません。ゆえに民主党は人的にはまったく期待することが許されないで僕がつくらないといけない事務所。多くの多くの方が立候補を要請していただいたと言っても「立候補の要請」=「選挙実務」ではありません。実務を動いてくださる方だって政治のプロではありません。僕がお一人お一人に頭を下げながら「選挙対策本部」をつくっていく、まったく新しい、既存の組織に頼ることなく「真木人脈」で作り上げていく手作り選挙。「あの人がヘソ曲げている」とか「あの人とこの人を同等に扱わないと」とか「あのグループとこのグループから同じ数だけ」とかずいぶんと腐心しました。11月18日に記者会見してからすべて手作り。僕は秘書の経験もありますし、「選挙実務者」としては日本全国でも相当優秀な「スタッフ」だと自負しています。なんでも自分でできてしまうからいけない部分もありました。でもその分、僕はブレません。他の候補者が「あっ、回りに振り回されているな」と見ていて感じることがありますが、僕はあくまでも「真木戦略」に沿って。
でも辛いことも一杯一杯ありました。「共産党との共闘」に一切耳を貸さない僕に対して「あの選対は素人ばかりの集団。市議選並みの選挙しかできない。共産党と組むべし」とかの陰口が僕の耳に入ってきます。「実務的には」民主党に頼りようもないから自分で党に関係なく「市民選対」をつくるのですが、党との距離感も難しいものがありました。近いところからの声にはずいぶんと消耗もいたしました。年末年始が一番きつかったかな。胃が痛くなって自分でも「下手すりゃ倒れるな」とか思うくらい。胃薬飲んでさらに薬を4種類くらい飲んで「人生最大の勝負。絶対に倒れない。絶対に風邪もひかない」と強い気持ちでがんばってきました。
 
献身的なご支援
 でもおかげさまで仲間が踏ん張ってくれてすばらしい選対をつくることができました。20年来の友人が自分の仕事も棒に振りながら戦線に参加。都議選の時に知り合った主婦は仕事を辞めて真木事務所に。町田高校の同級生の元銀行マンが実務を完璧にこなしてくれて元・都議会民主党の政策スタッフも就いていた仕事を辞めて参加。「真木茂とだんらんする会」で知り合った方は仕事を休んでずっと応援。
 そのうえで青年会議所時代の友人が全面的に支援していただき、市内のあらゆる業界・団体の方々が連日連夜事務所で作業や作戦会議。黒子に徹していただいた市内・市外の労働組合の皆さんは土日に大集合。すごい勢いでビラを配布していただきました。その準備を連日連夜していただいていた方々。実業の皆さんはそれぞれの得意分野で全面的にご支援いただき本当に力強かったですね。主婦パワーも凄かったです。子どもを連れながらや子どもに我慢させながら事務所作業をしていただいていた方も。60歳過ぎの仕事を退職した方も連日事務所でポスターの裏張りから発送作業から。秘書時代の友人が駆けつけてくれて「選挙のプロ」としての活動もしてくれました。5年前に仕事を辞めた「参議院秘書会」も応援にかけつけてくれたり。10年前の職場の皆さんも熱く応援してくれました(市内の方々のことはあまり書きません。真木を応援していたことがバレルと迷惑をかけるかもしれませんので詳しくは書きませんね)。

「町田史上最強の選対!」
 年内のうちは僕がレジュメを書いていた真木選対。でも年末年始で体制を構築し終わって僕が実質的に会議に参加したのは確か1月6日の会議まで。次はもう途中参加で、その次からは最後まで一切出席しないままに選挙を終わることができました。以後は僕は純粋な肉体労働者。都議選のときよりもずっとずっと支持者のお宅にも伺えました、綿密に街頭演説も実行できました。町田の政治史上、いかなる衆議院選挙よりも市長選挙よりも、当然都議選よりも最強で最良の選対を間違いなくつくることができました。強いだけでなく本当に良質な方々に応援いただいたことは僕の誇りです。そしてその方々は夜遅くだったり休日だったりするのに連日楽しそうに応援していただきました。普通、選挙というとよく「○○さんと××さんがケンカをした」とかあるのですが、それもまったくなかったとのこと。そして負けた後も「楽しかったよ」「夢を見たよ」「いい勉強させてもらった」「真木さんのおかげでいろいろな方々と知り合えて僕の財産になった」と言っていただいているのが本当にうれしいです。告示日前の「真木茂ファンサイト」(僕がやっている公式ホームページとは別に支援者の方々が「ファンサイト」というホームページをつくってくれました)に僕は「集ってきていただいている方々、本当に町田の将来を考え、真剣に、そして楽しそうに(失礼)集まってきていただいていることが、僕にとっては本当にうれしいとともに、それだけ『皆さんの夢を真木に託していただいているんだな』と重く重く受けとめています」と書きましたが、皆さんが夢を持って楽しそうに闘っていただきました。勝利はできませんでしたが、必ずこの闘いが「いい町田をつくっていく」大きな一歩になったと確信をいたします。
 本当に本当にすばらしい選対ですばらしい選挙を闘うことができました。
 真木茂にこれだけの皆さんが夢を託していただいたこと、感謝、感謝、感謝。感謝以外に言葉はございません。

夢ある具体的な政策
 そしてこの選挙は政策も力を入れて闘ってきました。全国の先進的な自治体首長の「マニフェスト」をこれも昔の友情で手にすることができましたが、全国の市長候補者の中でも相当できのいい「政策」をつくることができたと思います。「4年間で必ず実現する。できなかったときにはもう次の市長選挙には立候補しない」とまでお約束した「マニフェスト」。そして真木茂のまちづくりの哲学を示した「町田30年ビジョン――時間(とき)を楽しむまち、町田へ」。さらには「真木茂のすぐやる宣言」としてすぐに取り組む政策。さらには「実現度が目には見えにくいもの」を「重点政策」として列挙。そのうえで、真木が市長になったときの行動パターンのお約束としての「行動マニフェスト」。そして「具体的に検討して、その検討結果を必ず報告する」とした細かい「個別政策」。僕の頭の中にある「政策」「夢」「企画」「想い」をすべてこれらの中に落とし込みました。もっとも具体的で、もっとも夢のある政策。もうレベルが違います。全国の市長のなかでも屈指のレベルにまで持っていくことがわずか一ヶ月強の短い期間でやり遂げることができました。40年間の町田での生活感覚、都議会議員5年間の政策。だからすべて僕の頭の中に入っています。スラスラと出てきたのとともに、それを「市民の力・町田の会」の「政策委員会」の皆さんが熱心にご議論をいただき、ブラッシュアップしていただきました。すぐにでも市役所に乗り込んで「改革チーム」を組めるようなメンバーが集まってくれました。これらがお蔵入りするのは本当にもったいない、残念です。

信じられない敗戦
 なんであれ、負けは負け。惨敗です。
 正直言って、一度たりとも「負けるかも」とも思いませんでした。自民党がどういう状況にあるかは僕も動いていて分かります。自民党はまったく動けていませんでしたよね。僕にも相当流れてきてくれていました。本当に相当。感触的にも都議選のときの数倍の熱さがありました。負けるわけがない、それだけの確証を得ていました。
 火曜日に某陣営が実施したサンプル3000の民間調査機関の調査でも真木が断トツ。一ヶ月前のデータからも伸び率もトップ。A新聞の調査でも投票率が53%で真木が5万7千でトップ。2番手が4万8千という数値。そして何よりも我が陣営が木曜日にやった電話調査でも有効回答の35%が真木で断トツとのこと。素人調査ながらも真木陣営を名乗らずに公正に実施。平日の昼間に在宅されている僕のもっとも弱い層でのこのデータ。地元紙調査でも「真木の圧勝」。全陣営をカメラで追いかけたテレビ局記者も「街頭の反応がケタ違いですね」と雨の関係で月曜、水曜の2回もカメラを回しに来てくれた記者がうなっていました。
 当日は朝から冷たい雨。午前も結構激しく朝のうちから投票に行く気分にはなれない天候。それが午後になったらさらに激しく車でも行く気がしなくなるくらいの激しく冷たい雨(2月で唯一の大雨注意報の発令)。「こりゃ投票率は相当低くなるな」とは思いましたが、「僅差になってしまうかな」くらいのもの。まったく当落については心配しておりませんでした。
 実際に当日の19時からは関係者と助役人事について打ち合わせ。仕事する気概にあふれていましたので、当選後のすごくタイトな議会日程に向けてすぐに仕事に着手できるように日曜日のうちに助役の構想を確認し、月曜日にはすぐに当事者を口説く段取りをつけていました。余裕を持って21時に事務所の近くで待機。
 ところが、投票箱のフタが開いた21時過ぎから事務所からの連絡が来なくなる。「想定外」の事態にまったく考えていなかった敗戦の弁を慌てて検討。一応「敗戦」に向けて対応するもののまったく信じられない状態でした。23時頃でしょうか、敗戦の弁をしたものの選管確定の数字が出てこない。9000票余りの行方が分からない事態に「なにか選管が大ポカしてるんだろう」とさえ思ってしまうくらい。25時くらいに選管確定数値を確認してはじめて事態を受け入れているような状況でした。

知らなかったテレビ報道
 3時に帰宅すると妻が待ってました。聞くと翌朝はPTAの旗振り当番とのこと。息子の学校はこの3学期は給食室が改修中で毎朝妻がお弁当をつくっているところ。それに加えて旗振りですから「俺が明日は行くよ」と早起きして旗振りに。「パパ、石阪さんに負けちゃったんだって」という息子に「今日、学校でおまえのことをからかうヤツがいるかもしれないけどおまえには関係ないからな。くじけるなよ」と言い聞かせ旗振りに。いつもやっていることなのですが、突然顔が売れたという感じ。多くの方がビックリして通っていかれました。そして帰宅して4ヶ月ぶりくらいにゆっくりとテレビを見ると8時過ぎから「民主党! 永田議員! 前原代表!」とやっています。その内容は「未熟」「無責任」「若さゆえ」「危うい」という内容。チャンネル変えてもものスゴイ民主党批判。しかも「若い党と若い政治家の体質」という観点。
愕然としました。
土曜日の最後の最後まで「若き政治家、真木茂だからできる市政の刷新を改革派の市長としてやり遂げて参ります」と声の限りに訴えていました。石阪さんの「お役人」に対比して「若き政治家」と訴えていたのですが、若き政治家がテレビでどんな風に取り上げられていたのか、まったく感度が鈍いとしかいいようがありません。しかも選挙戦がはじまるまでは「市民の力・真木茂」に重点を置いていましたが、はじまってからはやはり政党選挙。当初戦略どおり「民主党推薦の真木茂」を前面に打ち出してウグイスさんに指示を出して戦ってきました。さすがに金曜日からは「民主党」の数を減らしましたが、やはり「民主の真木」でした。
メール事件が逆風になったのは木曜日の昼から。永田議員が辞意を表明との報道がされたときからです。木曜日の午後にその情報を知って、やはりホンモノではなかったのか、と思いましたが辞職するとのこと。「当然だよ」と思っていました。ところが木曜日の夜には「辞職はさせない」とのこと。これを受けて金曜日くらいから「民主党なにやってる?」という報道が続出しましたよね。
 僕たち候補者と選対の中枢はまったくテレビを見ないので突然民主党にここまで逆風が吹いているとは思いませんでした。応援をしていただいている方々が、「この雨で大丈夫か?昨日から今日にかけてのテレビは民主党批判ですごいぞ」と言っていただいていたのですが、「まぁまぁ」という感じ。だから僕も考えてもいなかった「敗戦」という結果にマスコミから「敗因は?」という問いにはメールを挙げずにいてさらにマスコミから「メール事件の影響は?」と聞かれても「10個の敗因のうちの一つではあるでしょう」と答えました。なんという状況分析力の欠如でしょうか。
 伊藤公介代議士の話は石阪候補には影響するだろうと思っていました。だって引っ張りだした方で、昨年のうちは町中を引き回していましたよね。それを分かっている方はたくさんいるのですから響くだろうと思っていましたが、政治倫理審査会の当日に永田さんが辞意表明で伊藤さんの記事や報道は小さくなってしまいましたよね。一方、永田さんのことは真木には結びつかないだろう、と思っていました。永田さんと真木はなんらの関係もないし、国会での一人の政治家の失態。犯罪でもないし、と思っていました。ところがテレビや新聞の論調は「犯罪」とか「悪意」とかではなく、「若い政治家の未熟さ」「無責任さ」「政権担当能力の欠如」「体質」となっていったのですね。まったく関係のないところの話しが「若き政治家の政権担当能力」というところで見事に結びついたのではないでしょうか。月曜日に見たテレビの内容に「これで民主党の若い政治家に市長をやらせようとは思わないよなぁ」と痛く納得しました。今日(3月2日、木曜日)の読売新聞の朝刊に「こんな状態では政権を任せることはできないという印象を与えてしまったのが今回の騒動の本質」とありましたが、その通りですね。
 土曜日の夜、僕たちは支持者の皆さんも30人以上が残っていただき町田駅で法律の許される24時までマイクを使わずに駅立ちをしておりました。都議選の時は4候補全員が揃ったバスターミナルまでの道も今回は僕一人だけ。そこに僕のよく知っている他の3陣営の幹部がそれぞれ僕に話しかけにきて、「うちの候補は寝てしまったよ」とか「A新聞の調査のとおりだね。真木君の勝ちだよ」とか「うちの調査でも真木さんの圧勝。すごいですよ」などと素直に?敗北を認める発言。そんな中ですから僕に「真木さん民主党だろ。入れようと思っていただけど民主党じゃぁなぁ」と3人くらいの人に言われても気にしてませんでした。僕のいない出口で「市長候補は民主党推薦の真木を」と言っていた人は相当「民主党」に食ってかかられた、ということを後で聞きましたが、僕の予断と情勢分析力の欠如です。
 ホームページへのアクセス状況を今になって分析してみると、告示されて高い水準でアクセスが来ていたのが、金曜日に激減。土曜日は前日にもかかわらず、水曜日の水準にしか戻していません。「真木ってどういう人?」と関心すらもなくなったということでしょうか。浮動票というか、民主党層も相当逃げた、ということが言えそうです。民主党への不満を真木への投票態度で示すしかないんですもんね。当然ですよね。
でもこのことに気づいていてもどうにもならなかったでしょうけどね。まぁ投票日くらいは緊張していられたでしょうか。
 僕と石阪さんの票の差は6100票差。今回の選挙の有権者数は33万人。1%で3300人。真木に投票しようとしていた方が「やはり安定した方に」と投票態度を1%の方が変えるとひっくり返ってしまった数字。無効票も5000票。「真木茂」と書くには相当なハードルがあったことは間違いないようです。前から頼んでいた友人に当日に改めて「頼んでいた真木をよろしく」と言ったところ「でもさぁ、民主なんでしょ?」と言われたとのこと。「もう離党してるからよ」と言って納得してもらったとのこと。
 メール事件と冷たい雨がなければ当選できたのか。誰もわかりませんよね。神のみぞ知る。今までの人生で多くの幸運にも恵まれて参りました。運も実力のうち。結果は結果です。
 でもね、自分の人生を党に左右されたくない、自分の力で人生を決めたい、そんな想いもあっての今回の「市長選挙」への決断。結局「党」に左右されてしまいました。これも運命。「人生を賭して」勝負したんですからね。惨敗です。

真木茂は政治家であった
 でもこの決断。後悔はしていません。正しかったのか過ちだったのか、と問われれば結果論としては明確に誤りです。大失態です。でもしょうがないです。大勝負に出たのですから。
 真木茂は最後まで政治家であり続けた。選挙屋でも政治屋でもなく。
 そして政治家としての責任を果たした。
 党人としての責務も果たした。

 選択肢を提供するのは政治家の責務です。本当なら僕が党の幹事長としてしかるべき人を口説かないといけないのでしょうが。でも僕に「あの人どうだろう」という話しは石毛前衆議院議員とテレビ局のキャスターの話だけ。後者は無理ですよね。それ以外はまったくありませんでした。
 政治家たるもの、求められているところで、求められている時に、ときとして身を捨ててでも決断すべき時がある。政治家が保身に走ったらもう政治家ではない。
 真木茂は政治家であった。

 昨日、とある女性の方に「真木さんのおかげで白票を投じなくてすみました。本当に感謝しております」と言っていただきました。今となっては最高の賛辞です。そう言っていただける方がいていただけることに心より感謝申し上げます。

 「なぜこんなときに自主投票なの!」と言って叱責され、「それならばあなたが出ればいいじゃないの!」と言われ言い訳している自分の姿を想像するだけでも辛いものがありました。それよりも出てしまってこうしてお詫びしている姿の方が真木らしいですよね。そうでしょ!?

罪万死に値する
 とは言うものの、本当に本当に申し訳ない気持ちで一杯です。
 この敗戦は3つの意味で真木茂は裏切り者です。
 都議会議員として働けよ、というご期待を裏切りました。
 そして、近い将来、国会に行って働けよ、国を変えてくれよ、というご期待を裏切りました。
 そして、その二重の裏切りにもかかわらず「よしわかった。ならばサラリーマンモデル都市をつくれ。かならず当選しろ。市長選挙も応援するぞ」としてくれた多くの多くの方々。特に市外の方に申し訳がたちません。
 罪万死に値する。そんなそんな裏切り行為です。
 今日まで本当に多くの多くの方々に育てていただきました。5年前の初立候補前。苦しいときに手を差し伸べていただいた方々。そして昔の上司が本当にいろいろと心配していただいて組織内として物心両面にわたる献身的なご尽力をたまわりました方々。苦しい苦しい1期目のときから助けていただいた皆さんのご恩を仇で返す結果となったこと、本当に罪万死に値するものです。お詫びのしようもありません。重ねて重ねてお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした。

5年間、走り抜けました
 落選が決まった直後の投票日の27時。妻と二人でウイスキーを飲みながら「本をつくっておいて良かったなぁ」とつくづくと思いました。我が人生のなかでもっとも輝いていたであろうこの5年間。その記録を残すことができていたということは本当に貴重な、有難きことだと思います。二期目の選挙のためにつくったこの「東京突破力」。真木茂という都議会議員がいたことの記録があるということに今となっては心より感謝です。
 自分で言うのも不遜ですが、卓越した政治家だったと思います。学生時代に雄弁会で鍛えたこと、青年団体の専従者として一人で冊子をつくっていたこと、労働組合で学んだ人間模様から交渉術、人心掌握術、そして秘書時代に学んだ政策と情報の感度と提供能力、あらゆることが都議会議員として僕の糧として生きていました。多くの議員が言う「俺がやった」は事実でないことが多いのですが、僕の場合は本当に「僕がやった」ものでした。小さな提案から大きな制度改正まで。一期の4年間でこれだけの成果を残した議員はおりません。鼻につくくらい仕事をしまくりました。本当に本当に5年間を走り抜けました。毎日ホームページで記録を残し、本当に一瞬たりとも遊んでないから、朝から晩まで何をしてきたかの「子どもの日記」をコンセプトにした「今日の一言」。何よりもこだわった「週刊エッセイ」。真木茂の「気張り」が伝わっていただけたものと思います。そんな「本」だとか「ホームページ」を残すことができたのは自己満足かもしれませんが、「真木茂という政治家がいた」ことの証です。本当に有難きことです。

自分にウソをつかない
 この5年間、真木茂は「愚直に」「バカ正直に」ひたすらに仕事をしてきました。路線としては、媚びることなく、「王道を行く」「直球勝負」をモットーに人に後ろ指を指されることがいささかたりともないように、胸を張って歩いてきました。
それは僕の大きなこだわりとして「演説の迫力」というのがありました。僕の演説がうまかったかどうかは分かりませんが、伝わる演説でありたいと思っておりました。僕は手法を勉強したことはありません。唯一の自分でのコツはウソをつかない、特に自分のなかでウソをつかない、やましいことがあっては人に伝わるわけがない。自分で自分にウソをついてなければ自信を持ってご訴えできる。そうすれば人にも伝わるだろう、それだけでありました。
 だから、今回立候補した大きな理由の一つは「町田の窮状を傍観した政治家に、これから真木茂がいくらマイクを握って『町田を良くしたい』と叫んだところでその言葉は空虚なものになる」との想いからでした。演説の迫力には政治家である限りはこだわっていました。
 そしてその基本は「言葉」です。僕は「政治家の言葉」に責任を持ちたいと思い続けていました。それがない議員は「政治家」ではないでしょう。これからいくら永田さんが国会議員を続けても誰も相手しないでしょう。僕はそうはなりたくはありません。
 こんなバカな政治家がいてもいいですよね。
 真木茂という政治家の存在価値は愚直であり、誠実であることではないでしょうか。だから皆さんは真木茂のことを応援していただいていたものと思います。

政治家冥利に尽きます
 多くの多くの方が、事務所に来ていただき「真木さんにどうしても一言言いたくて来た。次もやってくれ」とかメールでも「運が悪かっただけだ」とか。わざわざ終わってから「サポーター登録」してくれて「次も応援するぞ」とかさりげなく書いてくださる方。「すばらしいマニフェストだ。絶対に続けろ」等々。本当にありがたい限りです。政治家冥利に尽きます。心より感謝申し上げます。

保険をかけずに勝負!
 確かに「負けるかも」とすら一瞬たりとも思ったことはありません。でもそういう問題ではなく、僕はこの勝負にすべてを賭して勝ちにいきました。一切の保険をかけずに勝負に出たのです。ですから、真木をご支援していただく方に「心配していただき、フルに活動してもらうために」言うなれば支持者の方を「脅かした」のです。そして僕の「決意」を読んだ方は僕の前で涙を流していただく方も少なからずいらっしゃいました。家の門に僕のポスターやビラを貼り門を真木だらけにしていただいた方もいらっしゃいました。これもそれもすべて「真木の決意」を汲んでいただいてのこと。
 真木が配って歩いたこのホームページの「決意と抱負」は効果は抜群でした。多くの方がこの文書を読み真木をご支持いただきました。それだけの覚悟を示し、「僕の持っている力と支持者の方の力をフル稼動すれば必ず勝てる」と勝負に出たのです。僕の戦術です。
 この戦術を選んだのは僕自身です。捨て身で行けば勝てる。そしてその効果は抜群だったわけです。向かい風10mくらいまではびくともしない戦術だったはずなんですが、想定外の向かい風30mくらいになったでしょうか。メールと雨の相乗効果は向かい風40mくらいかもしれませんね。いずれにしろ責任を取らなくてはなりません。
 さらに前述したように、落選中におカネに苦労しすぎると政治が歪みます。それが嫌だから衆議院議員が嫌だった面もあります。おカネで苦労した真木茂はいまの真木茂とは違ってくるかもしれません。約束を守る、うそをつかない、きれいな政治を実現できる真木茂でなくてはなりません。

これからも愚直に
 本当にいろいろとご心配していただき、「早まるなよ」と言っていただきます。「政治家というのは時に一番狡猾で精神的にタフでなければ」とも言っていただきました。それも真理でしょう。でも僕は権力闘争する政治家でなく仕事をする政治家を選択したつもりです。「俺が絶対に総理大臣になってこの国を変えてやる」というのならその間は時として手段を選ばずひたすらに「精神的にタフに」なって権力闘争をするのかもしれませんが、僕は権力闘争には向いていません。純粋にいい町をつくりたかったのです。都政を通じて、そして市政として、町田を良くしていきたい。僕なら楽しくって活力があって夢のある市民自治の町・町田をつくっていけた―――でも僕じゃないとつくれないわけではありません。
僕は一人の男として、これからも「愚直に」「バカ正直に」「王道を行きたい」と思っています。どこまでもどこまでも「直球勝負」で。

政治への情熱は不変!
 でも、町田に対する愛情が消えたわけではありません。
同じく、世直しに対する情熱がなくなったわけでもありません。
だから「市民の力・町田の会」の会員として、より良き町田づくりに係わっていきたいと決意しております。「市民の力・町田の会」は「より良き町田をつくるため」の目的優先の団体。決して「真木茂後援会」ではありません。だからトップも「会長」ではなく「代表」。素敵な仲間とともに、一市民として政治に係わっていきたいと思っています。

情けが身に染みます
 いま、木曜日の16時20分。まだぜんぜんご挨拶回りができておりません。ご挨拶に回らないと行けないところが数限りなく。でもいたるところで同じことを聞かれるのが目に見えているので、この原稿を先にさせていただきました。
 選挙翌日の月曜日も午前から事務所に顔を出しましたが、多くの方が「落選した事務所」なのにもかかわらず顔を出していただきました。後片付けをボランティアで‥‥‥。こんなにもありがたいことはないですね。人の情けが身に染みます。このすばらしい仲間のご期待に応えられなかったこと、そして今まで日常的にお会いしていたこのすばらしい仲間と滅多に逢えないというか、お役に立つこともできない、寂しくて淋しくてどの顔見ても涙が出てきます。月曜日はおカネの段取りを気にしたり。請求書がどれだけで、手持ちがどれだけで戻ってくるのがどれだけ。気の遠くなる話しです。これが勝っていると選挙後にも次から次に集まってくるんですよ。でも見捨てることなく心配していただける同志がいて‥‥。月曜の夜は3人で泣きながら飲んで、火曜日は事務所の撤収。メンバーも最後の日で片付け。水曜日はほとんど家にいて原稿書くはずだったのですが、疲れがどっと出てきてどうしてもなにやっても起きていられません。1日中寝ていました。でも生活者ネットは「報告会」に呼んでくれました。でもお祝いなのに僕は湿っぽくていけません。真心から御礼を申し上げさせていただきました。ということで、この木曜日に朝から未だにお昼ごはんも食べずに原稿にかかりっきりになっています。そして明日の金曜日に事務所作業をしてから来週よりご挨拶回りにじっくり時間をかけてお伺いします。

友情と信頼という財産
 来週になれば大丈夫かな? どの顔見ても「選挙に勝てなかった申し訳ない気持ち」と「都議をやめてしまった申し訳ない気持ち」と「お育ていただいたのに申し訳ない気持ち」で一杯になってしまって涙腺は緩みっぱなしです。
 僕が普通のサラリーマンになってしまえば(なれるかどうか分かりませんが)もう会うことがほとんどない方々ばかり。町田の本当にいいメンバーに巡りあえて育てていただきました。市外のいろいろな団体の方々が真木を本当に本当に育てていただきました。こんな幸せ者はいない。そんな恵まれた環境でお育ていただきました。こうした皆さんの想いを無にし、物心両面における「投資」を水泡に帰させてしまい、友情を裏切るこの罪は本当に重いです。そして、そして本当に本当に寂しいです。
 まだ来週も無理でしょうか。泣き顔になっても笑わないでくださいね。
 この文章を見ていただいてから回ろうと思って、月曜日に僕の携帯電話に登録されている最初の50人くらいに電話をしたところで、電話でのご挨拶も止まっています。改めて今さらになって多くの多くの「人脈」と「友情」と「信頼」という世界一幸せ者というくらいの財産を持っていたことを痛感いたします。来週からじっくりご挨拶をさせていただきますが、次のことも考えないといけませんね。回りきれなかったらお許しください。

せめて罪滅ぼし
 町田からは逃げもいたしません。悪いことやったわけじゃありませんからね。でも2週間くらいすると「喪失感」がすごいんでしょうね。でも落ち込んでいるわけじゃありませんからそんな気を使わずにいてください。「申し訳ない」という気持ちでベソになりますが、普段はアッケラカンとしています。
 早くご挨拶をして次の仕事を探しに行かなくてはなりません。せめてもの罪滅ぼしで朝夕のご飯をつくって(息子のお弁当も)洗濯物くらい干そうかと思ってますが、時間はたっぷりございます。いくらでもお声をかけてください。

心通う年賀状を
 もともと庶民だった真木ですから、政治家という仕事を辞めて月収が半分以下になっても寂しくないと思っていましたが、でもなんだかんだと今までは恵まれていましたよね。おカネの工面には困っていても「お小遣いがないから今日は飲みに行くのを辞めよう」ということはありませんでしたからね。普通のサラリーマンに戻るとお小遣いのペース配分をしないといけませんよね。議員になってすぐに「必要だろう」と思って買った6万円のゴルフセット。結局この5年間で4回くらいしか使えませんでした。これからは3月に一回くらいゴルフに行けるような生活ができるといいかな。そして何よりも年賀状を丁寧に書く生活がしたいですよね。議員になってから出す年賀状は「政治家」としての活動報告。一筆書き加えることもありません。そうすると来る年賀状も味気ないものです。これからは真心が通いあうような年賀状を出し合いたいですね(今年いただいた年賀状はまだ見てません。近いうちに読ませていただきます)。

まずは生計!?
 当面は息子と野球できるのを何よりもの楽しみにしています。昨年の僕の選挙の前からしばらく寂しい思いをさせていた息子と真正面からぶつかってみたいと思っています。その息子も「パパ節約しないと」と家中の電気を消して歩いています。「僕、塾は辞めなくていいの? スイミングスクールは辞める?」とけな気すぎて僕が困ってしまいます。
 妻子のためにも自分のためにも早く生計を立てていかなくてはなりませんね。生まれて初めてのハローワークを経験してみようと思いますが、「元都議会議員」という職歴はいかがでしょうか。絶望的ですが、楽しみです。
仕事は町田市の内外を問わないのですが、町田市と仕事や補助金でご縁のあるところはお世話にならない方がいいのだろうな、と思っています。僕がいるだけで「反市長派」の会社とか思われてしまうのが忍びありません。

生きてきた証のホームページ
 ホームページは残していたいですね。こんな都議会議員がいた、こんな市長候補がいた、という証として。当面は僕のアイデンティティーとなるのでしょう。でもそれが邪魔になるのか、「元都議会議員」というアイデンティティーがなくてもやっていけるようになるのか、両立ができるのか、自分でもこのホームページの存在をどう考えるようになるのかが楽しみです。
 新しく書き加えることはないかな? ちょっと分かりません。でも「元都議会議員」でも「前市長候補」でもなく、41歳の真木茂というオジサンのブログみたいなものはできたらいいですよね。せっかく5年間の生きてきた証を積み重ねたわけですから、死ぬまで近況報告を「友人」とできたらいいですよね。ちょっと検討してみますね。
 でも難しいですよね。こんなホームページだとかマイクを握ってご挨拶するなんていうことは「肩書き」があってできること。僕は都議会議員としては握手が苦手でした。でも市長候補となったら「堂々と」握手ができるようになりました。「立ち位置」があるからですよね。これからは僕はアッと言う間に「普通の気の弱いオジサン」になってしまいます。人前でご挨拶しろと言われても早口のシドロモドロのご挨拶しかできなくなります。でもそんな普通のオジサンでいられたらいいですね。

全力疾走からジョギングへ
 都議会議員として、そして市長候補として、愚直に走り続けて参りました。41年間のこれまでの人生自体が愚直な生き方をしてきたと思っています。全力疾走でした。これからは少しゆっくりと余裕のあるジョギングをしていきたいな、と贅沢なことを考えていますが、メシは食っていかないといけませんしね。
 
80年の人生にとって
 神様か仏様のいたずらで「民主党はじまって以来の危機」と「冷たい雨」を僕の選挙と重ねてくれました。でもこれも天命です。41歳。男性の平均寿命のちょうど折り返しくらいでしょうか。この「落選」は真木の80年の人生にとってはとっても良かったと言えるようにして参ります。政治家としての幸せと一人の市民としての幸せはなかなか両立いたしません。この5年間、政治家としてとても幸せな環境の中で過ごさせていただきました。でも一市民としては家族を犠牲にして活動してきました。息子が僕と遊んでくれるのもあと2〜3年でしょうが、家族を大切にして、そしてライフワークを探しながら自己実現をはかっていきたいと思います。
 本当に僕は幸せ者です。

報告したいネタが一杯
 都議会議員としてこのホームページで報告したかったネタがたくさんたくさん残っています。花粉症の前進とかも僕の功績が大なんですよ。目に見えるものとしては、町田街道の三塚から南橋までの間の町田駅方面。来年度には南橋まで全体が2車線に。三塚の交差点は3車線になる予定ですがこれは僕の建設委員会での提案です。同じく鶴川の岡上陸橋。陸橋から降りてきて鶴川駅東口交差点。左側の植え込みをつぶしてゴルフショップの前につながる道ができて陸橋の出口は3車線になります。これも僕の委員会での提案。ともに議事録がありますよ。三輪の藤の木交差点が拡幅されるために僕が地主さんと町田市と東京都の話をまとめました。市長になったらすぐに着手するものだったのですが、これも実現したら「真木道路」です。こういう「予算はほとんどいらずにアイディアで改善していく」こと。真木の得意技ですよね。これからは「市長への手紙」で書いていきますね。でも採用されないんだろうな。面白いものを採用していくような現場である市役所にしていってくださいね。

僕の分までいいまちづくりを
 末筆となりましたが、石阪新市長のご健闘を心よりご祈念申し上げます。石阪新市長の「属性」については「お役人」だとか言って攻撃をしましたが、個人的なことについては触れていないつもりです。「いい町をつくっていこう」と競争をして私は負けました。僕のできなかったことまで含めていい町をつくっていただけたらと切望します。ぜひ僕の無念さも晴らすような市政を展開してください。
 そして、僕を応援していただいていた方々もぜひ石阪市長といい町をつくっていっていただきたいと存じます。僕は負けちゃったんですから。目的はいい町をつくること。僕も一市民として大好きな町田がいい町になっていくことを心より祈念いたします。

感謝!
 本当に本当に、ありがとうございました。
 改めて、いろいろな面でご期待にお応えできなかったことを心より心よりお詫びを申し上げ、そしてこの間のご支援に心の底からの感謝を申し上げ、結びとさせていただきます。
 感謝、感謝、感謝。僕は本当に不義理な男です。そして日本一の幸せ者です。
 重ねて重ねてありがとうございました。
2006年3月2日記
真木 茂

 

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