82

義父の大病に思う

 先週の月曜日(4月24日)の夜、僕が会合で酔っ払って24時前の電車に乗っていると妻から電話。こんな時間に妻が電話してくることはまずありません。電車がすいていたので小さな声で出てみると「お父さん(義父)の調子が悪く病院から電話があった」とのこと。お母さん(義母)もどうしようかと心配しているとのことですから「僕が行くよ」と24時に病院に。でもそこでは病院が「一応連絡した」とのことで、元気そうな父の顔も見て安心して26時に帰宅。ところが翌日の火曜日の午後になってまた病院から電話。「非常に良くない」とのことで妻も会社を切り上げて病院に。内臓から出血しているらしく血圧がさがって輸血が間に合わないとのこと。「このままでは‥‥」との状況でしたが、夜になって症状が安定したとのことで先生から「今日は帰ってください」との指示。ところがやはり翌朝になって「内科ではもう無理。今日中に手術しないと」とのことで朝一番で病院に。内科の先生は「このままでは今晩もたない」と。外科の先生が時間が空くのを待っていたのですが、もう待てないということで救急救命センター(ER)の先生に執刀していただくことになって緊急手術。その先生も「手術から生きて帰ってこれる可能性は低い」とのこと。聞いているお母さんは卒倒して倒れちゃうしで大変でした。
 でも開けてみたら小腸の動脈から一ヶ所だけの出血。お父さんの体も大量の輸血にも負けてなく手術は無事成功。お父さんも集中治療室から普通の病棟に移るほどに元気を回復。一件落着しましたが、この件を巡って僕もいろいろと考えさせられました。
 以下、この一件を通じての雑感です。

極限状態で人柄が出る
 後で分かったことですが、小腸の動脈から出血していたのですからいくら輸血しても間に合いません。でも内臓からの出血というのは痛くもなく自覚症状は下血するだけ。でも親族から友人まで集まってくるし、先生同士の会話などからお父さんも状況は分かっていました。「今晩もたない」と言われている状況なのに普通に話しができる状態。
 主治医の内科の先生が「ご本人はお辛いと思いますよ。でもまったく取り乱すこともなく『お任せします』とだけ言われて人格がまったく変わられない。こんなに意識がしっかりしているのに‥‥」と言葉を詰まらせているくらい。
 僕たちも覚悟を決めて「手術室から生きて帰れない可能性が高い」と言われていた緊急手術。最後に手術室前で会えるということで部屋の前で待っていました。ベッドで運ばれてきたお父さんは僕たちがいることを知りません。部屋の直前で声をかけるとすぐに気付いて首を起こしながら「戻ってきますよ。戻ってきますからね」と笑顔を見せながら大きな声で。その間わずか5秒から10秒。この言葉が示すように自らの死に直面していることが分かっている極限状態の中にもかかわらず、丁寧語で親族に配慮するお父さん。本当にスゴイと思いました。
 本当の極限状態の中で自分だったらどうなるのか。お父さんのように振る舞えるよう人間形成をしていかなくてはと思いました。極限状態で人柄って出るんでしょうね。

いい友だち
 お父さんには僕もよくお名前を伺う親友がいらっしゃいます。その方にお母さんが連絡したら病院にずっと立ち会っていただき、家族の控室はご遠慮される中で何時間もロビーで待っていてくださいました。高校時代の友人。すばらしいことですよね。そんな真の友がいらっしゃるお父さん。大切なことを教えていただいたような気がします。

人の命の儚さ
 術後3日でもうベッドでは体を起こしている状態ですから今では笑い話です。でもあとちょっと手術が遅れていたら‥‥‥、手術室が空いてなかったら‥‥‥、先生が時間が取れなかったら‥‥‥。実際に外科の先生は時間が取れませんでした。あの時に救急車が来ていたら救急救命(ER)の先生もダメでした。本当に間一髪。出血の部位も分からず困難な状況でした。
 健康には絶対的な自信を持っていたお父さん。入院も今回が初めて。そんな元気な68歳があとちょっとで。長い長い小腸に1oの穴があいただけで死んでしまう人間(ビデオで血がほんの少しだけ出てきているところや切り取った小腸を見せてもらいました)。こんなことであっという間に死んでしまうかもしれない人間。終わってしまうかもしれない人生。悔いないように生きないと、と思ったりしました。

医師という仕事
 深夜に病院に駆けつけた24時から26時。次から次に救急車が来ます。予告なしに行った僕にも25時くらいに主治医の先生が懇切丁寧に説明していただきます。「医師、看護士のストレスってハンパじゃないな。大変な仕事だ」と痛感。そして次の日の午後に病院に呼ばれて行ってみると、その主治医の先生はやはりお父さんを見てくれています。昨晩当直の先生が僕たちが帰る20時くらいまでいる。そして次の日の朝一番の8時過ぎに病院に着くと9時にはやはりその先生が。そして緊急手術の手配をしていただきいよいよ手術。
 3時間を超える手術が終わって僕たちの前に現れた執刀医はいかにも全神経を集中して仕事してきたのが分かる「戦い終わった直後の男」の神経の昂ぶりと安堵感の入り混じったいい表情。そして成功を聞いて喜ぶ母に我がことのように一緒に喜んでくれた看護士。この看護士は執刀する先生の説明を聞いて倒れてしまった義母を介抱してくれました。
 15分後、執刀医が集中治療室から出てくるところに偶然に遭遇。僕が深々と「ありがとうございました」とお辞儀をすると、何気ない顔して「あっ、どうも」と会釈して救急救命の自分の部屋に戻っていく医師。めちゃカッコ良かったです。
 ひょっとしたら医師も看護士も病人やその家族のこの笑顔に励まされてこの激務を続けていけるのかな、とふと思いました。だって病院での僕たちの笑顔は、僕が今まで多くの皆さんから「真木さんのおかげで」と言っていただくことを最大の喜びとして仕事してきたその笑顔と同じような気がしたからです。
 「なるほど、医師、看護士はやりがいのある仕事だなぁ」と痛感したのとともに、今まで僕が与えられていた仕事の大きさを改めて痛感しました。有り難く、そしてやりがいのある仕事だったんだなぁ、と再確認です。まぁ、今となってそんなことを再確認してもははじまりませんが。

家族中が大騒動
 今となっては笑い話ですが、月曜日の深夜から水曜日にかけては大変な状況でした。妻も義母もそして僕も肉体的にも精神的にも本当に疲れました。そして小学校5年生の息子もショックだった模様。「ジジ、死んじゃうの?」と聞く息子に対し、「そう、いま危ないんだよ。ジジが死ぬってことはママが一番悲しいんだよ。オマエにとってパパやママが死んじゃうっていうことなんだから。分かるだろ。だからオマエもがんばってママを励ましてくれよ」と言っていたからでしょうか、息子もプレッシャーを感じていたらしく手術の無事が分かったとたんに「おなかが痛い」と言ってママに甘え出しました。ご飯も食べられないと言います。僕は自分の経験から「神経性だな」と思って放っていて「笑えば治るよ」と言っていたら最初は寝込んでいた息子もすぐに食事をバクバク。そしてすぐ寝ちゃってしまいました。子ども心なりにいろいろ頑張ってくれていたようです。

 お父さんも順調に回復。みんなで支え合って生きていることを痛感します。お迎えが来るまで死ぬわけにはいきませんね。儚い命。悔い無きように生きましょう!

 

 

SHIGERU MAKI OFFICIAL WEB SITE
製作協力 株式会社クラフトワーク