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近況報告その2
必要とされている?ことで正当化?
悠々?悶々?浪人生活!
3ヶ月が過ぎました
昨日の26日で投票日から3ヶ月。今日も冷たい雨が降っていましたが、あの日の真冬の冷たい雨から半袖での冷たい雨へと季節は大きく変わってきました。僕もすっかり日焼けして何もなかったような楽しい生活感と同時に大きな喪失感。将来への不安と希望が入り混じったような日々を過ごしています。人の死だって49日。人の噂も75日。公職選挙法も繰り上げ当選は3ヶ月。あらゆる面でリセットしないといけませんね。
というところですが、とりとめもない雑感をいくつか記して近況報告といたします。
病院通いの毎日です
前回のエッセイで記しましたが、義父が大病。この前に書いたときはもう治って「今では笑い話し」と書きましたが、「いよいよ明日が抜糸」という5月7日になって再度出血。深夜に2回目の緊急手術をしてからというもの毎日のように病院に通っています。この5月27日には深夜24時に病院から電話があって深夜の2時から手術。もう6回目です。血管内治療とか含めて事実上8回目の手術。「手術をする」といって呼び出されて術前の検査の段階で手術を回避できたこともあったり。当然、お見舞いも含めて毎日が病院通いです。そんなこんなで「連休明けたら自分の仕事のこと」と予定していた計画もだいぶ遅れてしまっています。夜の会食の予定も入れることができず、毎晩のように家で夕食を食べる生活。こんなこと結婚してから一度もなかったことです。
でも苦労かけている分、こんな時こそ恩返しをしないといけません。「茂さんが市長になっていたらこんなにいろいろとしてもらえなかった。神様は分かっているんだね。茂さんのおかげで助かった」と義母に言っていただき「落選を正当化」! 僕もなんとか家族の中で存在意義が!? でも、こんな形で恩返しや活躍するのは不本意ですよね。一生懸命にポスターを貼ってくれたお父さん。早く一緒にビール飲みたいと切望します。
挨拶回り続けています
「連休前に挨拶回りは区切りをつけて連休後は自分の仕事のこと」が当初の方針でした。ところが挨拶回りも終わりません。同時に次のことも中途半端。そんなこんなでまだ挨拶回りを続けています。
名簿にもとづく挨拶回りでも、選挙前なら一日50軒から100軒は回れます。でも選挙が終わって落選中の身。一ヶ所の話しも長くなります。「上がっていきなさいよ」に断る理由はありません。そしてやはり気合が全然違います。昼休みもゆっくり。雨が降れば「雨の中にピンポンして不在だったら濡れながらメモ書くのもなぁ」と引き上げてしまいます。おかしな天気が続くこの4月から5月。雨が多く挨拶回りもスローペースです。
でもやはりご挨拶を続けて良かったなぁと毎日思わせていただきます。正直に言えば自分でも「もう今さら」ですし、生産性のないこの作業。恥かしいですし、億劫にもなります。でも行ってみると、僕の顔を見た瞬間から涙顔になってしまう方。「どーしてたのよ。心配してたのよ」と同級生のお母さんはみんな異口同音に。「次はもっともっと真剣に応援するから」「俺も悔しくて悔しくて。このままじゃ死ねない」とまで言っていただく方々。僕もまだまだ涙腺が緩みがちです。
「早すぎた」だけは!
でもその中でも悔しいことがあります。
それは「ちょっと早すぎたかな〜」と言われるときです。この言葉にはやるせない気持ちを抑えきれません。
この立候補、「早すぎる」とかいう問題ではありませんでした。ずいぶん昔のこの「エッセイ」にも記しましたが、8月に市内の有力者の複数から「真木君市長に立候補してくれないか」と言われたときには「市長への魅力は否定しませんが、40代の真木ではなく50代の真木が挑戦させてもらいたい。都議の選挙から6ヵ月後の市長選挙に出ることは禁じ手です」とお断りをしました。「40代の方が破壊力はあるかもしれませんが、もうちょっと勉強して人格、識見、そして徳を身につけ50代の真木が市のリーダーに挑戦したい」とはっきりと申し上げてきました。自分でだって41歳が適齢期だとは思っていません。
ただ、今回の選挙。真木しかいなかったんですよね。変えたい現実があって、つくりたいまちがあって、守りたい町田がある。そんな真木茂にとって市長は誰でもいいとはなりません。そして自民党さんが誰もが知らない方を候補者に決定していく中で、その方に対抗できるのは、組織的に、そして何よりも資金的に、僕しかいなかったんです。
民主党サイドで手を上げている人はいない。手を上げて欲しいような人も見当たらない。ましてや資金が用意できて人格・識見ともにすばらしいという人は120%見つかるわけがない、となった10月から11月。いよいよ覚悟しないといけないかな、となったわけです。僕が口説いて立派な人が擁立できても僕がその人のためにおカネを集められるほど僕は集金力はありません。でも僕が出ればカンパしていただけるメドが立つ。僕自身にはおカネはありません。都議選という大変大きな長期間の選挙を戦ってきたばかり。でも僕にならカンパがどうにか集まって、おカネのない市民グループも汗を流してくれる。なんとか選挙母体をつくれる。それができるのは真木しかいない、という判断のもとでの決断だったのです。「早すぎる」というのは僕が一番思っています。41歳で市長になっても人生設計が立ちません。50代で市長になれば3期やってちょうどいいんです。そうした人生設計もすべて投げ捨てての、「俺しかいない」なかでの立候補だったんですよね。そんなことをみんなに分かってください、と思う方が無理なのかも知れませんが、応援していただいた方からも2名ですが、言われました。それだけがちょっと悔しいですよね。
まぁ、こうしてホームページで愚痴を聞いていただける方がいることが何よりも幸せなことでもありますが。
「お役に立てる」ことに感謝!
こうしてご挨拶回りを続けていますと未だに陳情をいただきます。「もう都議会議員でもないんだから」とも当初は思いましたが、市に関すること、都に関すること、今でもお話しをいただきそれなりにお応えすることができることに心より感謝です。そして何よりも「僕が市長になったら実行したかったこと」が市長になれなくても実行できることに何よりも喜びを感じます。異業種の○○さんと□□さんをつなげて新しいものを作り上げていく、そんな計画をいくつか持っておりましたが、この前ご挨拶回りでその○○さんとお話しをしている中で「ぜひ□□さんと一緒に仕事させてください」と言われ、会食のセッティング。極めて社会的に意義ある事業がスタートできそうな見込みです。これは僕が選挙前に当事者同士にお話しをしていたことですが、僕の落選で頓挫。仲介役がいなくなって諦めきれない□□さんが進めようとしていたものの進まないでいた話しでした。偶然、ご挨拶回りで○○さんと話しができて急展開。日本中でも先進的な事業ができそうです(市も絡む話しですから僕がやったとは公言しない方がいいと思ってこんな抽象的な表現になっています。僕も配慮しているんです)。
当選できていたら具体的にやりたかった夢がたくさんあります。落選してしまった今ではその半分もできるわけないのですが、一つや二つだけではなく、もっともっとお役に立てることがありそうです。現役の政治家じゃなくても政治家時代のネットワークを活かして真木茂として社会貢献できることがありそうだな、していきたいな、そんなことも考えています。これまでの貴重な経験を社会還元できる、そんな活動も考えていけたらいいかな、都内に「普通に」働いてしまうのもひょっとしたらもったいないかな、とか考えてもいます。
でも明確にできなくなったこともたくさん。市長になれば簡単に改革できたことも今ではなにもできないことが現実にたくさんあります。「ここを変えてくれ」と具体的にご期待をもって応援していただいた方々がたくさんいらっしゃいました。市が管轄できる事業所で抑圧されている社員の皆さんへのご期待にお応えできなかったことなどは本当に申し訳ない気持ちで一杯です。バッジつけてナンボの世界であることは事実。今でもご恩返しができることの有り難さと「当選してたら」とか「都議会議員であったら」できることが今となってはできないことへの悔しさとを日々かみ締めています。
「玉砕戦法」でも「生き残り」
行く先々で「あんなこと言わなければ良かったのに」「必ず政治活動を続けてくれ」と100人中99人に言われます。「新しい道でがんばれよ」は本当に100人中に1人くらい。99人には「前言を撤回しろ」と言われます。政治家をしていたものとして、こんな有り難いことはありません。今までの仕事がご評価されていたこと、そして改めて多くの皆さんのご期待をいただいていたことを痛感します。
確かにこの市長選挙には「捨て身」で「すべてを賭して」、「玉砕戦法」で勝ちにいきました。中途半端な気持ちで、保険をかけて戦えるような生やさしいものではありませんでした。だって先にも書きましたが、都議選に当選して6ヶ月で市長選挙に出ることは禁じ手中の禁じ手であることは僕が一番良く分かっています。これを逃げ回れば衆議院議員への道が待ち構えていることも分かっていました。それを捨てての大勝負。本当に「すべてを賭して」の「玉砕戦法」でした。片道キップというか、片道分の燃料だけ持って帰ることは考えず、闘いに勝つために少しでも身を軽くして勝つことに専念して勝負にでました。
でも戦国時代とも特攻隊とも違い、選挙は僕を死なせてはくれませんでした。「市長になっているか、借金を抱えた失業者となっているかどちらかだ」と真剣に思っていましたが、皆さんのおかげで借金は抱えなくて済んでいます(真木家において、僕が管理している「政治特別会計」では足りませんでしたが、妻の管理する「一般会計」からの「繰り出し」でどうにか借金を抱えず、「家を売る」でもなく済みました)。「井戸塀(昔の政治家が政治活動をすることによって持っていた資産はなくなり井戸と塀だけになってしまうこと)」になってしまったり、本当に借金まみれになってしまったら確かに「玉砕」かもしれませんが、僕は今でも悠々と生きています。陳情も依頼されてしまって言うなれば「政治活動」も一部ですが続いています。
「玉砕戦法」で戦って負けたにもかかわらず「生き残っている」ことも楽じゃありません。真木茂の責任とは何なのか、男としての生き様はどうあるべきなのか‥‥‥。
まぁ、借金を抱えて本当に玉砕してしまうよりはずっとずっと楽なのですが。
人から感謝される仕事
先に書きましたように、最近は毎日病院に通っています。町田から近くの大学病院の集中治療室のある「3階」では目の前が手術室。その横が救急救命センターと最重度の患者さんが担ぎこまれ、そのご家族の方々がいつも待機しています。お祈りする家族、泣いている家族、いろいろな場面に遭遇しますが、そのご家族に真正面から向き合っている医師と看護士。僕たちに対しても「ご家族もお辛いと存じます。僕たちもできれば手術はしたくないのですが‥‥‥」と涙声でご説明いただき深夜2時からも執刀していただく医師。「大学病院は‥‥‥」とか言われますが、百聞は一見にしかず。真正面から生と死に向き合う現場がありました。心労重なる義母ですが、一人の信頼を寄せられる年配の看護士の存在で随分と助けられています。そして患者さんが退院される際には「○○さんにお礼が言いたい」と一般病棟からの退院であるにもかかわらず、集中治療室の看護婦さんを訪ねられている光景を何度か拝見しました。
職業としておカネをもらいながらも人さまから感謝される仕事。生まれ変わったら医師とか看護士も!? いや、今から医師試験! もう少し現実的に考えましょうか。これからの人生、おカネをいただきながら人さまのお役に立てる仕事! 模索していければと思います。
浪人生活雑感
3ヶ月が経ちました。最初の一ヶ月はお礼回りとともに、事務所の引き揚げからおカネの支払いのこと、選挙管理委員会への報告書の提出などスタッフもおりましたしあっという間に過ぎていきました。その延長線で連休までは忙しく挨拶回りをしておりました。ところが連休も明けて、しかもお父さんの病院通いが続き、同時に夜の約束ができないので毎日家でご飯を食べる生活。求職活動もできてませんので失業者でもありません(失業中というためには求職活動をしないと失業に認定されません)。ものすごい焦燥感もありますが、でも我が人生で恐らくは二度とやってこない、そして多分残り少ないこのモラトリアム(執行猶予)の時間を大切にしたいと思ってます。
まずは息子との時間が決定的に多くなりました。息子との会話が多くなりましたし、接し方もより厳しく、そしてより楽しくなりました。問題は妻との会話が増えないことなのですが、その最大の原因は夕食食べて酔っ払ってウトウトしてしまうことです。でもこれって僕にとっては最高の贅沢です。だって今までは食事したらすぐにパソコン前で仕事でした。いつもつくらないといけない原稿、つくりたい文章、まとめたい構想が一杯でたまに早く帰ってきてもいつも食後はすぐにパソコン。寝るのは26時とか。一番早く寝るのは24時頃に帰ってきたときが諦めてそのまま寝られるか?というくらいでしたよね(よく24時過ぎに帰ってきてもパソコン立ち上げてしまって26時とかありましたけど)。とにかく気分はいつも何かに追われていました。
でも今はその脅迫感からは解放されました。家族との時間は格段に増えて、妻孝行、息子孝行をさせてもらっています。
そして何よりもうれしいのは友だちからのメールに丁寧に返信することができることです。今までは「取り急ぎ用件のみ」みたいなメールしか書けませんでした。どうかすると返事を忘れたり2週間くらい後になってしまったり。だってメール見るのは25時くらい。疲れていたり急ぎの仕事が続くとそんなことになってしまってました。
でも今うれしいのは、僕の落選で小学校から大学、さらには昔の職場や同僚などの仲間が「激励会」を開いてくれて旧交を温めることができて、そしてその方々とメールをじっくりと交換することができたりしています。
僕は政治家という仕事をはじめてから「人生にとってもっとも大切なものは家族と友だち」とか思うようになりました。でも政治家時代はその「家族と友だち」を、結果としては蔑ろにしてきたような気がします。僕には多くの友人という財産があります。政治家となって新しく知り合った友人もいます。政治家となって交流が復活できた友人もいます。この多くの友人との一人の人間としての付き合いを大切にしていきたいと痛切に思います。
仮に僕が65歳まで順風満帆で政治家として仕事できていたとしても、こうした友人との付き合いもいつの間にか「政治家・真木茂」との付き合いになってしまって65歳過ぎてバッジを外した後には付き合ってくれないような関係になっていたかもしれません。「まさかの友が真の友」―――いまの僕には多くの真の友に恵まれています。この真の友を大切にしながら65歳を過ぎたときに真の友に囲まれた心豊かな人生を歩む機会をいただけたのではないかと思わせていただいたりしています。
どういう道を行くにしろ「家族と友だち」を大切にして―――いい反省の時間をいただきました。何度も言わせていただきます。我が人生を振り返るときに、「あの落選は良かった」と思えるかどうかはこの後の僕の生き方しだい。人生全体の中で必ずこの落選をリベンジしないといけません。ご注目ください。あっ、応援もよろしくお願いします。
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