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42歳になりました
経済界デビューへ! 準備中です!
嫌な雨が続きますね。6月生まれの僕ですが、梅雨は苦手です。そんなこんなで?このエッセイも1ヶ月も放ってしまいました。
でもお会いする人から「最近ホームページ更新してないね」とか言っていただくことに本当に感謝です。ご心配していただく方がまだまだたくさん。電話もいただいたり、「会合があるからいらっしゃい」とか。まったくホームページを更新しないと「うつ病」にでもなっているのではないかとご心配をおかけしてしまうようです。
ということで、元気な真木茂の近況報告です。
社長に就任しました!
6月19日付けで「代表取締役社長」に就任しました。
と言っても自分たちでつくった会社です。この6月からの会社法の改正で資本金制限が撤廃され、有限会社制度もなくなりました。まさに小泉改革の規制緩和のおかげ?で「ならば会社をつくっておこう」ということになりました。友人と二人でつくった会社ですが、友人の方の仕事は順調に回っていてすでに仕事がある状態。だからこの会社は実際に経済活動をしてちゃんと利潤を出す会社になりそうです。
問題は、僕がこの会社で経済活動をどれだけ展開するかですが、この会社で僕が想定される仕事は「政治家・真木茂」をご支援していただいていた皆さんに「商売人・真木茂」がお伺いしないといけない部分がだいぶ出てきそうです。がんばれば僕が生活するだけの稼ぎはできそうですが、ご支援いただいた皆さんに少しでも不愉快な想いをさせてしまうこととなったら不本意です。
いま考えているのは、この会社の僕のかかわる事業は「社会貢献」に徹し、今までの「ご恩返し」として「サイドワーク」として「できる範囲で」活動することとし、僕の生活のためには別の形で必死になって仕事してみたいと考えています。
現在、町田市内で働く方向で準備をさせていただいております。次回のエッセイ(7月20日頃でしょうか)ではしっかりとその本業とこの新しい会社について、報告とPRができるようにしたいと思っております。
悠々悶々の浪人生活とももうそろそろサヨナラになりそうです。我が人生の中でもきっと極めて貴重なこの期間! 今のうちに息子と野球をやっておきます。
初当選から5年! 42歳になりました!
6月24日、約一週間前に42歳になりました。そしてこの日は僕の最初の選挙の投票日。37歳の誕生日が初挑戦のときの投票日でした。選挙運動最終日の土曜日の午後7時50分。僕はマイクを握って最後のご訴えのなかで「明日は僕の37回目の誕生日です。でもそんなことはどうでもいい。37歳の誕生日は一晩寝ればやってきますが、『町田の政治家・真木茂』の誕生日は私たちの手でつくらなければやってきません」とシャウトしてからもう?(まだ?)5年が経ちました。資料を整理してたら万歳とともにバースデーケーキの火を消している読売新聞の記事も出てきました。
そして今日(7月3日)は、僕の2回目の当選から一年です。あの歓喜のトップ当選からわずか一年。こうして一年を迎えますと「一年もしないで他の選挙に立候補はなぁ‥‥」と痛感します。決意しなければ今ごろ「やっと一年して落ち着いてきたなぁ」と言っている頃。だいぶゆっくりとできてきた頃だったんでしょうね。
偶然にも今日は僕のことを全力で応援していただいた団体の会議がありました。呼ばれてご挨拶もさせていただきましたが、まだ議案とかには『真木茂君の二期目のトップ当選』とか昨年の議案が参考に出てきたりして申し訳ない気持ちで一杯になってしまいます。でも温かく皆さんが接していただき、懇親会でも激励の言葉を賜ったり。『俺たちはオマエの政治家としての決断を支持したんだよ』と。この方々は国政へのご期待を強くもっていただいていた団体。本当の支援・友情になおさら申し訳ない気持ちで一杯になってしまいます。でも『政治家・真木茂の決断』、悔いはありません。
息子を国会に連れて行きました
最近、息子と二人でいることが多くあります。土日は父の見舞いに病院に行っている妻。しかも雨で息子の野球は中止。二人っきりで動いているとけっこう『男同士の話し』になります。そんななかである時『パパはなぜ立候補したの? カッコつけたかったの?』と聞いてくる息子に対し、一瞬言葉が詰まります。小学校5年生の息子にどう言えばいいのか分かりませんでしたが、「男にはな、やらなきゃいけないときがあるんだよ。誰もいなかったら逃げちゃいけないときもあるんだよ」ととっさに口から出てきました。
そんなだんだんいろいろなことが分かるようになった息子が、息子主催で「父の日とママの誕生日(6月19日)とパパの誕生日のお祝い会」を開いてくれました。息子が席から立ち上がって司会進行を務め『進行表』まで書いて『お祝い会』。そして『プレゼント贈呈です』と言って自分のおこずかいをつかってスーパー三和で買ったハンカチを渡してくれようとしたものですから僕が息子に「なにかお祝いの言葉を言ってよ」と突然ふってみました。そうすると一瞬考えた息子が「お誕生日おめでとうございます。パパも選挙に落ちちゃったけど、元気を出してがんばってください」とお祝いの言葉。ジンときちゃったのとともに、僕の心の中で何かが溶けたような気がいたしました。
このお誕生会の翌日は授業参観日の代休で月曜日なのに学校が休み。平日で息子が学校を休めて僕も『お休み』が重なるなんてもうありません。せっかくだからどこか休日には行けないようなところはないか、と思っていた時に「あっ、そうだ。国会に連れて行こう」と思いました。息子は『友だちと遊びたい』と嫌がっていたのですが、無理やりに。何を伝えたかったのか、自分でも分かっているような分かっていないような。でもどうしても僕が5年間、秘書として勤めた国会という場所を息子に見せておきたい、そんな想いであったことは間違いありません。なにかスッキリしました。
新しい出発へ
もうさすがに『ご挨拶回り』を目的とした行動はしていません。まだ回りきれてないのですが、そのために家を出ていくことはさすがに疲れました。いまは事務所や都議会から運ばれてきた書類の整理に追われています。我家の3つの部屋が僕の資料でごった返している状態ですが、一つ一つに目を通してしまって作業は遅々としてなかなか進みません。わずか4年強ですが、ずいぶんと仕事したことも痛感します。新聞でも多く取り上げられているんだなぁ、と忘れていたことも痛感。「いい仕事しているじゃないか、真木茂君」とか感慨にふけってしまったり。議員という仕事、そうとう向いていたようですね。しつこく、ときにいやらしく、ときにはお目こぼしもしながら都庁の部課長と緊張と信頼の関係を持ちながらやってきたこと思い返します。
どの資料を見ても担当の課長の顔が思い返されてきて、懐かしい限り。でももう過去のことを振り返ってみてもはじまりません。ヤマとなっている資料をダンボール一箱くらいまでに捨てて、新しい出発をしたいと思います。
息子にオヤジのどんな背中を見せられるのか、人さまが僕の顔みて『輝いているね』と言っていただけるような真木茂であるのか、そんなことを判断基準としていま次のステップを考えています。
7月20日頃にはこのエッセイが更新されて次の仕事について詳述できるはずです。ご期待ください。
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